「ジェノサイドの丘」(上・下)フィリップ・ゴーレイヴィッチ著
7年ほど前に、ウチは専用線を引くことになった。今風にいえばブロードバンドだ。当時はそのランニングコストはずいぶん高かった。そこで、それを機会に新聞の購読を止めることにした。ちょっと勇気のいる決断でしたよ。まがいなりにも実用系情報を書いて生計をたてている身ですから。
だから、ネット上の新聞を毎日がんばって読んだ。紙の新聞購読時には広告がはさまったまま新聞置き場行きになる日もけっして少なくはなかったことを考えると、かえって「新聞を読む」日常だった。しかも一紙だけではなく、複数紙を読み、海外の新聞まで毎日目を通した。最近なくなってしまったがNando Timesというサイトが気に入っていた。英語表現が簡単だったからだ。
英字紙を読むと、その国際面が日本の新聞とまったく違うのに驚く。いわゆる第三世界の話題がかなり載っているのだ。日本の「国際面」に載る話題はアメリカ、EU、中国、アセアン、韓国くらいで、中米のゲリラの話もでてこないし、アゼルバイジャンの大統領選挙も掲載されなかったりする。米英の新聞にはこういうのがたとえ扱いは小さくても、ちゃんと出ているのですね。
これにはぼくは驚いた。ま、世間的には常識なのかもしれないが。
本稿の目的は「ジェノサイドの丘」という本の感想を書くというものだ。それなのに、なぜこういう前振りをしたかというと、この彼我の差が、どちらがいいわるいじゃなく、この本を読む上で大きく効いてくると思うからである。
「ジェノサイドの丘」は実に衝撃的な内容を持っている。1994年にアフリカの小国ルワンダで起こった民族対立による民族虐殺をテーマにしている。きわめて短期間に100万人が組織化されていない隣人たちの手で虐殺された。
この虐殺自体は世界の目の届かないところで進行したが、その後に激化した内戦とそこからの難民流出は日本のマスコミでも当時ある程度報道された。報道の中心は難民の悲惨な状況であって、連日「ザイールのゴマ」という難民キャンプの名前がテレビのニュースショーに登場していたことを覚えてられる人も少なくないだろう。
ぼくも覚えている。なぜか強烈に覚えているのは「難民キャンプの難民が燃料のために熱帯雨林の木を切り倒すので、ゴリラの生育地域が脅かされている」というもの。ぼくはビールを飲みながらゴリラたちの行く末を案じてた。
その後、なんでも大量虐殺があったらしい、ということがわかってきた。フツ族とツチ族の対立。悲惨なことだが、どっちがどっちだかわかりゃしない。世界とはそういうものだよ。というのが、ベトナムの時代ではなく、この現代、ビアフラやカンボジアを見てしまった後の時代のわれわれの、平均的な感想だったように思う。
この本は、ルアンダで起こった大量虐殺の詳細で冷静なレポートである。文体はジャーナリズムという感じからは遠く離れ、上質の小説、たとえばカポーティやグリーンの小説のような肌合いに近い。巻頭にざっくりした地図があるだけで、他には写真、図版、表、地図がいっさいない。ただただ文章だけであり、それもちゃんと継時的にまとめられているわけではない。
事件の骨格そのものが錯綜しており、複雑であることをうけての文体だろう。しかし、読み進めていくうちに、この文体でしか語れないこともあるということに気づかされる。これは「いままでの経緯をVTRにまとめてみました」「次のフリップを見てください」手法では語りきれない事柄なのだ。読み始めてしばらくは装飾的で主観的な文章、時に夢幻的とさえ言っていい文章、に思えるが、じょじょに引き込まれ、じょじょにこちらの理解も整理されていく。これは著者の力量の大きさだろう。
ただ、注意が必要なのは、著者は「片方の側に立っている」ということだ。彼は確乎として虐殺されたツチ族の側に立ってこの本を書いている。いわゆる「ジャーナリズム」だと思って読むと、間違うことになる。アメリカ人であれば(この本を読むような人であれば)、われわれよりはルアンダの事件を「知っている」はずということを前提に書いている。何も「誰も知らなかった歴史の暗部をはじめて明らかにする」という本ではないのだ。少なくとも著者の思惑ではそうじゃない、とぼくは思う。
「ジャーナリズム」といえど、公平中立な文章など、誰も書けやしない。人は否応なく「どちらかの側」に立たされてしまう。立たされたくなければどうするか。シニスムのよろいをかぶるしかない。
著者はシニスムに逃げない。「虐殺された側」に立脚点を置き続ける。それは何もプロパガンダを声高に叫んでいるという意味ではない。まったくその逆だ。「虐殺された側」による虐殺のことも冷静な筆致で描写する。しかし、立脚点はいささかも動かないように、ぼくには思える。
本をどう読もうと、それは読者の自由だ。しかしこの本を読んで「どうもフツ族とそれを支援し続けた国際社会(の当時の一方の責任者は国連高等弁務官であった緒方貞子である)が悪かったらしいよ」という読後感を語る人がいたとしたら、ぼくはそれは違うよ、きっと、と反論するだろう。
人間って何だろうとか、現代史とはどのように見るものなのかとか、その現代史の渦中でどのように生きていくのか、ということを鋭く強く静かに突きつけられる。
最近、面倒なので英字新聞サイトを見ることも少なくなった。しかし、見出しだけでも見ておかなければな、と思った。
・「ジェノサイドの丘」(上・下)フィリップ・ゴーレイヴィッチ著 柳下毅一郎訳 WAVE出版 各1600円
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