
新刊案内
こわされ、すてられ、消えてゆくものがある。
かんがえ、つくり、伝えたいものがある。
本当の豊かさを取り戻すために。
……ぼくたちのご先祖の感覚では、物にはもともと威厳と品格があるってことなんだろうね。それはうすうすぼくにもわかる。寒い時に火を焚くのはいい。しかし暖かくなってもまだ焚いていると、それはもったいない。燃料を粗末に扱っているからでもあり、自分の必要が満たされたのに火を消さないことが恐れ多いからでもある。
そうだ。もったいないとは主体的な感覚だったのだ。自分と自分の必要をちゃんと考え、それを超えるものを粗末に扱うことをたしなめるコトバなのだ。…ずいぶん「もったいない」時代が長く続いてきた。その中で喪失してしまったのが、自分で考えるということだったんだ。自分で自分の暮らしを考えるということだったんだ。 (本文より)
「もったいないのココロ」
石田豊・著
定価(本体1500円+税)/四六判・並製・240頁/ISBN4-87290-145-2 C0036
2003年1月23日発売
第1章
天の恵み、地の歓び
序 壷中の天地
カエル上陸
半坪の土地に降る雨で
縄文菜園憧憬
クマムシをご覧になりますか
冷凍ミジンコ再生実験
…たしかに都市の自然ははかない。件の空地もアスファルトが敷かれ、駐車場になった。しかしうたかたに出現した壷中の天地とでもいうような小宇宙の中には無数の生物たちがひしめきあっている。そこには無数の美があり驚きがある。
たとえばベランダに植木鉢を置き、土だけ詰めて放置する。適当に水をやっているだけで、一年もたてばそこにはちょっとした生態系ができている。たとえば小さな容器でニンジンを育てていると、ある日突然キアゲハが産卵にやってくる。近所でキアゲハなんか一度も見たこともなかったにしても。 (壷中の天地より)
…で、ぼくが何をやりたいか、っていうと、クマムシの「接待」なんですね。ま、茶の湯のようなもの。
来客がある。雑談を楽しんだあと、「時に、クマムシをご覧になりますか」と顕微鏡をとりだすわけだ。なにしろ竹の葉に水をかけるだけでOKなのだ。インスタントなのだ。でもって生命と宇宙の神秘を共有できるのだ。接待としては特別級に奥ゆかしいものでしょ。
「お生まれは福井だそうですね。これは永平寺の竹の葉です」なんてね。 (クマムシをご覧になりますかより)
それ以降はさしたる事故もなく、三々五々、彼らは上陸を続け、ある雨の日、残り大部分は一斉に上陸を果たした。数百の単位だ。
テレビでなんども「史上最大の作戦」を見たものだが、そこで見たノルマンジー上陸よりドラマティックであったことは、もう、ハッキリ断言しちゃってもイイ。 (カエル上陸より)
第2章
手に食ふたたび
序 かつお節削りとコーヒーミル
味噌の時間
コメ食え食え団の野望
冷暗所とキムチっ庫
…工場ではモノを作る時、まず原料や工作機械についての詳細な計画をたてる。必要なものは事前に調達する。いっぽう、日曜大工などではこういうアプローチを採らない。何かを作るとき、工具箱の中をごそごそあさり、この枝をこう使えばどうだろう、という風に考える。常にありあわせの材料、持ち合わせの技術でもって目標を達しようとする。こんな感じの方法論がブリコラージュだ。
ぼくたちの暮らしはブリコラージュの積み上げでできていたはずだった。でも生活が便利になり、いろんな機器や情報が暮らしの中に入ってくる中で、ブリコラージュ的日常のアプローチはどんどん少なくなっていく。専用の機器を使って手順書どおりにこなしていく。そんなことが暮らしになっていきつつある。 (味噌の時間より)
ぼくはごはんが大好きだ。しかしながら豪語しているわりには食べてない。
「愛している、好きだ、と口では言いながら、これってどういうこと?」
ごはんにそうなじられているような気さえする。
(コメ食え食え団の野望より)
第3章
調べ遊び考える葦
序 もったいないのココロ
Back to the 80s
オトナのための電力講座
ひそかに電気を喰らうモノ
蛇口をひねれば水が出る
二酸化炭素と風船
今ひとたびのご奉公を
…もっと大きな要因は違うのだ。それは「単身化」である。単身世帯が著しく増加しているのだ。90年と比較しても27%増。いまや単身世帯がいちばん多いのである。2000年の日本の総世帯数は4678万だが、そのうち単身世帯は1291万にものぼる。ぼくの住む東京都杉並区などは、半数以上が単身世帯なんだそうだ。
いまや単身ニッポンなのである。これにはビックリした。世帯数の増加がエネルギー消費を押し上げていることは間違いない。(Back to the 80sより)
電気を1kWh使うと、現在の電源構成をもとにしていえば120gの炭素を排出する。これは風船で言えば8・57個。100Wの電球を1日1時間ムダに付けているとそれだけで年間313個の風船がぽわわんと浮かんで消えていくことになる。
計算の方法は実に簡単で、固形換算の二酸化炭素量を14gで割ればいい。二酸化炭素量はふつうキログラムで表記されているので、単位を合わせる(具体的には1000倍する)ことにだけ注意すればいい。
(二酸化炭素と風船より)
第4章
消えゆくものたちへ
序 情報リテラシーの退化
京都の郵便番号と人工衛星
映像が伝え得ないもの
2001年中秋の名月
フォネティックコード
円周率は3でいい
…ぼくは疑似体験を否定するものではない。自分で実際に見聞きしたことだけが体験ではあるまいと思う。言語を発見してから、人間はずっとその方針でやって来た。言語は他者の体験を自分の体験として取り込むためのメディアだ。だから炉辺で戦士たちの話を聞き、ベッドで本を読む。
他者の体験を組み入れていくことで、ぼくらはより深く考えることができるようになる。
しかし、ただただインパクトの度合いという観点から計算され刈り込まれた鮮烈な映像が良質な体験たりうるのだろうか。地震の「体験談」だって、ぼくたちは新聞雑誌テレビでいやというほど接してきた。でもそれはそれぞれほんの数行の分量しかない。もっともセンセーショナルな部分をさくっとすくってきたものだ。
そうした鮮烈で断片的で原色の疑似体験を浴び続けることで、ぼくらの考えは原色の鮮烈な断片をつなぎあわせただけの粗雑なものになってしまっているのじゃないだろうか。 (映像が伝え得ないものより)
今夜は月がどんな形なのか。この形の月が空のどのあたりにあるから、だいたい何時ごろだな。こういう知識は、ぼくたち現代人にはとっても遠いものになっている。旧暦(太陽太陰暦)は月の運行をベースに太陽の動きも加味して作った暦システムだ。何日といえばどんな月だったかがわかるようになっているわけだ。たとえば「本能寺の変」は天正十年六月二日に起こったのだが、この日付を聞いただけで、昔の人は暑い季節の真っ暗やみの夜をすぐに思い浮かべた。前夜は新月であるから、月明かりはない。赤穂浪士の場合は十二月十四日なら、という具合。 (2001年中秋の名月より)
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