渡辺さんには
バイオライト以来ずっとお世話になりっぱなしなんだけど、昨日のネコのクローンについても、さっそく「探さなければならないな」と思っていたことを教えていただいた。サカモトさんにも。
30年前、ぼくは恥ずかしながら教職課程を取りたいかななどと不遜なことを思い「教育心理学」なんて講座を履修したんだよね。その2、3回目で、「これは犬、これは花というのは事物が親と子の前に現存しているのだから、なんども指さして教えると嬰児にも理解可能だ」というタイクツな前置きからはじまって、「じゃあ、悲しいとか嬉しいとかという感情は、どうして(母から子に)教育されるのか」という予想外の設問を、その(当時のぼくから見てもワルモノと断じてしかるべき)先生は発したのだ。
母親が何かの原因、たとえば夫婦喧嘩なんかして、悲しんでいる。すると幼児は同じ感情にシンクロしてしまう。そのとき、母親が「悲しいね」などというと、幼児は「あ、この感情を悲しいというのか」と理解する、というのだ。
これにはぶっとんだね。「テレパシーやんけ」とぼくは思った。なにも一概にテレパシーを否定するものではないけど、それでも「教育心理学」と「学」のつく世界でテレパシーをどうどうと肯定しているという点に驚いたわけだ。もうすっかり当たり前という前提になっていることに驚いたわけだ。
ぼくはこっそりまわりを見回してみたが、学生たちは淡々とノートを取っていたり、タイクツしていたりしている。おまえら、驚けよ、とその時思った。
CNNのニュースを読んだ時に感じた気持ちが、これと同じ。
クローンだといっても、体形(太っているとかスマートとか)や性質は成長過程の環境のなかで差異が生じるのは当然だ。しかし形態はまったく同一というのが、われわれの共通理解であったはずだ。もちろんそういうトコに反論を試みている学者もある。たとえば池田清彦。それはそれで非常にエキサイティングなんだけど、それがエキサイティングであるのは、逆にセントラルドグマがしっかりしているからである。
CNNのニュースは
だが、同大学のドアン・クレーマーさんは「クローンでペットの再生を期待していた人はがっかりしている」と話す。専門家が指摘しているように、ネコの性質を決めるのは遺伝情報だけでなく、環境要因もかなり重要だったのだ。
米人道協会のウェイン・パーセルさんは「私たちが心配していた通りだ。クローンはコピーにならない。クローンは身体的にも同じでないし、行動や個性まで飼い主が望むようにはできない。動物保護施設には捨てネコがたくさんいるのに、それでもネコを増やす新しい方法を考えようというのか」と話す。
という具合に「科学欄」でありながら、ありきたりの社会論でお茶を濁しているんだが、毛色というのは「性質」とか「行動や個性」なんていう高度に複合された属性ではないでしょ。そこつっこまな、どこつっこむねん、という感じだ。
ここに驚いたわけ。
で、渡辺さんはNatureの論文ページのURLを教えて下さった。
A cat cloned by nuclear transplantation。このページによると、ネコの毛色は遺伝子だけで決定されるのではないというのだ。(サカモトさんのご教示もほぼ同一)
「他の遺伝的に同一なマルチカラー毛皮(multicoloured coats)の動物同様、このクローン仔猫の体色のパターンは、遺伝上のドナーのそれとまったく同じというわけではない。マルチカラー動物(multicoloured animals)の毛色のパターンは遺伝的なファクターで決まるとは限らず、遺伝子型にコントロールされない発生上の要素によっても左右される」
などと、そのページには記されている(拙訳)。
なるほどなるほど。
しかしなあ、これじゃますます混乱が深まるだけだ。発生上の要素(developmental factors)ってなんやねん。形質が発現する際にDNA以外の要素がからんでくると言っているわけで、ぼく的には最初の疑問に立ち戻ってしまうことになる。
毛色が発生上の要素で決まるなら、乳の出だとか肉質とかのクローン家畜作成の狙いになっている形質も同じかもしれないじゃないか。どないなってんねん。