朝日新聞に入社するまでのものを初期作品とするなら、あと、草枕、二百十日、野分などがあるが、どの作品にも電燈、水道の記述はない。
これらの一連の作品群は明治38(1905)年、39(1906)年の2年間に書かれている。前にも書いた通り、明治の年と漱石の年齢は同じであるから、30代終盤ということになる。
日露戦争は明治37年から38年(ポーツマスの講和会議が8月10日より)であるから、日露戦争の戦中から戦後にかけての時代だ。
東京で一般家庭に配電が始まったのは明治20(1887)年である。
1887年末の線路長は1町、各戸所用戸数83個、1447灯(1戸平均17.4灯)、店頭量2728円(小島敏雄「台所用品の近代史」)
それから20年近くがたっても、一般の市民のところまでは、まだまだ電燈が普及していなかったものと考えていいのだろう。
志村嘉門「
電力技術物語」に、明治後期の電力需要家数の推移が表になっている。全国需要家数は明治31年に33,485件だが、大正元年には1,683,305件に急増している。この推移をグラフに描いてみると以下のようになる。
電気の需要家数の推移
明治40年、漱石は朝日新聞社に入社するが、そこから大正元年にかけての6年間で急速に電気の普及が進んでいくのが見て取れる。
それがどのように作品に反映されていくのか、つづいて見ていきたい。
こんにちわ。この記事に対してコメントをするのは偶然このページを見つけてしまった私にはとんでもないことなんですが今後このページをもっとよいものにしていただきたいと思い書かせてもらっています。
電気の需要と漱石の作品などになぞらえて紹介されていたのですごくわかりやすかったです。電気の需要が増えているのはわかったのですがどのように増えていったのか、どういう地域で増えていったのか、どういう人たちが電気を必要としているのかが気になりました。
[2004.04.26 #40]