たとえば「住所録」という形式のデータベースを考えてみる。住所録は誰しもが最初に思いつくデータベースの典型だ。住所録の目的はつきあいのある相手の住所氏名をぶちこんでおき、必要に応じてそれを引き出す、ということにある。
住所録データベースは、姓、名、郵便番号、住所1、住所2、電話番号……、といった項目(フィールド)からできている。そうしたフィールドそれぞれにあてはまるデータを埋め込んでいくことで1件のデータ入力とする。場合によっては「年収」だとか「配偶者の有無」だとかのフィールドが追加されることもあるだろう。
私とて、こうした住所録を作ってこないではなかった。しかし、入力するたびに、「これこそ牛刀をもって鶏を割くだなあ」との思いがあった。データベースが複数のフィールドで構成されているということは、フィールドの内容によるいろいろな処理を可能にするためである。
たとえば「年収」が800万円以上で、「配偶者」がなく、「持家区分」が借家である人をデータベースから抽出して新築マンションのDMを送る、というふうに使うためにある。
商店や企業の顧客データベースならいざしらず、個人にとって、住所録データベースをそういうふうに(つまり「データベース的に」)使わなければならない状況は、ほぼない。連絡をとりたいと思った時に電話番号を調べるとか、年賀状や転居通知を送る際にタックシールに打ち出すというニーズしかないのだ。
なんも、こんな目的のために、わざわざデータベースソフトを使うまでもないじゃないか。と、私は思う。データベースソフトは概して有料であり、かつ高価であるというだけではなく、入力の手間も案外かかるものだ。上記目的をはたすなら、なにもデータベース形式でなくても、友人知人の住所氏名がごちゃごちゃと書き込まれているテキストファイルでいいわけで、そういう形式なら、メールの中の署名部分をぐるっとコピペすれば、一件落着なのだが、データベースとなると、名字は「姓」の欄に、電話番号は「電話1」の欄にというふうに分割して入力せねばならない。入力効率が悪いのだ。
しかも「牛刀」を使うがゆえに、小回りがきかないというところもでてくる。電話を2回線もっている相手もいるし、通称と戸籍名の両方を使い分けている友人もいる。氏名ではなくニックネームで当方が認知している人もある。固定的なデータベースのフィールドのどこに入れるべきなのか、思い悩んでしまうことも多い。かといって、そのような雑多な条件にその場その場で対応してフィールドを増やしていくと、煩雑で使い物にならないデータベースになってしまう。
つまり、個人のデータベースは「備考」ばかりが大きくなってしまうという宿命を持っている。
ひるがえって考えると、個人のもつ情報の強みは「備考」にある。組織・集団でデータを共有するためには、なんらかのフォーマットが必要となる。そのため、森羅万象をフォーマットの要請でむりやりにも抽象化しなければならなくなる。たとえば電話帳はすぐれたデータベースであるが、これも「登録者名」「電話番号」「住所」という3つのフィールドに、その個人なり法人なりをむりやり「抽象化」したからこそ、成立している。「奥さんの名前は由美子」だとか「少林寺拳法三段」、「前沢牛が安い」などといった情報の数々は、みんな捨象してしまうわけだ。
つまりね、個人にとって有用な住所録的情報は、データベースソフトの住所録テンプレートを使うより、たとえば下のような行がいっぱいつづくテキストファイルのほうが、ずっと使いやすく、強力だと思うのだ。
富沢精肉店 富沢弘 トミさん 〒111-1111 東京都中央区中央1-1-1 03-3333-3333 サックス 篠原義幸クインテットのメンバー 奥さんの名前は富沢由美子 少林寺拳法三段 前沢牛が安い
むちゃくちゃな命名ではあるが、こうした方式を私は「テキストデータベース」と呼称して、ずいぶん前から提唱してきた。雑誌の記事にも書いたし、単行本でも触れた。私が主張してきたテキストデータベースの梗概は以下の通りである。
- 個人の「データベース」はフィールド区切りの構造的なもおである必要はない
- ゆえにテキスト形式のファイルでよい
- ただし検索の都合を考えて1レコード1行の原則を守る
- 検索はテキストエディタの検索機能やgrepなどを使えばよい
- 抽出はawkやperlを使っておこなう
- フォーマットレスであるから、中にいれる情報は住所だけには限らない(目的ごとにデータベースをわける必要はない)
いわば梅棹忠夫の「京大型カード」の考え方のパソコン版である。京大型カードをパソコンで実践するという試みは、いろんな人がおこなっている。そんな記事はたくさん読んできた。しかし、それらの実践と私の案の最大の違いは、ベースがテキストファイルである、というところにある。おおくの実践報告では、なんらかのデータベースソフトを使うことになっている。私はそれはとらない。
なぜかというと、まず、データベースソフトというものに対し、抜き難い不信感を持っているから、ということが最初にあげられる。データベースソフトは基本的に、データをそのソフト特有の形式でもつ。ソフトを乗り換えれば、データは最悪読めなくなるし、読める場合でも、ある程度の時間をかけてのコンバートが必要になる。市販のアプリケーションソフトの寿命はおどろくほど短い。製品として継続していても、こっちの趣味嗜好が変化して乗り換えたくなる場合もある。こうしたことをあわせて考えると、ほぼ3、4年といったところか。
しかし、いっぽう個人のデータベース(カード)は一生ものである。時間のスパンが両者で違いすぎると私は思う。ゆえに、自分のシステムを特定のデータベースソフトのフォーマットに置いておくのは、躊躇を感じざるを得ない。
最初に述べたように、「牛刀をもって」うんぬんという感じもつきまとう。
実務上もそうだ。私の場合(つーか、ふつうそうだろうが)、データベースソフトを起動するのは、この個人カードシステムに書き込む、または検索する場合だけである。つまり、常時立ち上がっているソフトじゃない。データベースソフトは大きく重いのが普通だから、カードに記入したいことがあっても、起動の手間や時間を思うと、ついついおっくうになることがある。
テキストエディタなら、常時起動している(私の場合)ので、そのあたりの問題はない。
費用の問題もある。データベースソフトは数万円するのが普通だ。バージョンアップもけっこうな頻度である。
速度だって、下手なデータベースより上記方法での運用のほうがずっと素早い。
だから、テキストデータベースがいいんだ、と、私は声を大にしていいたい、ところだが、数年の実践の経験から、自分自身のなかで、その自信が揺らいでいるところもある。