5 モーターなら作れる
[初出] 2004.02.01 [最終更新] [平均面白度] 3.57 [投票数] 7 [コメント数] 0
じゃあ実際に作ってみろと言われると、もちろんできるわけはないのだが、銀塩カメラの原理と構造は薄ぼんやりとではあるが、おおむね知っている。フィルムはベースにハロゲン化銀を塗りたくったもので、光があたった部分だけが、銀が抽出されて「黒く」なる。その後、ベースのハロゲン化銀を洗い流す。
おそらくエッセンスはこんなところでいいだろう。なんで光をあてるとそんな反応が起るかという理屈はまったくもって知らないんだけど、そこをそんなもんだと割り切っちゃう。だから、あとは図書館にでもでかけて、なんだかんだと調べものを行い、薬局へ行って必要な薬品を購入することで、たぶん印画紙は作ることができるだろう。
おそらく、木材、木工工具、硝酸銀溶液、レンズもしくはガラスとガラス加工工具、なんてところがあれば、カメラは作りだすことが(原理的には)可能だとのアタリはつく。
しかし、デジカメはそうはいかない。CCDが像を捉えているというのは「知識」としては聞き及んでいるが、実際、それがどのようなものであり、どのような材料と原理でできているものなのか、まったく想像が付かない。
日曜日のテレビ番組のコーナーに「やってトーライ」というのがある。いろいろな食材や調理器具の並んでいるところに、通りがかった若い娘を案内し、いきなり「茶わん蒸しを作ってください」などという課題を課すというものだ。彼女たちはムチャクチャをやる。それを笑おうというような、惨めな企画意図を持ったコーナーだ。
その伝で、机の上に考えられるすべての材料が揃っているところで、「カメラを作って写真を撮ってください」なんて言われた場合、幸運があれば、なんとか問題解決の方向に少しは進むことができるだろうが、デジカメがお題であれば、まったくお手上げだ。もちろん親切にもCCD素子がおいてあったとしてもそうだし、その素子からして始めから作れなんて言われたら、もう手も足も出ない。
こういうことはカメラというジャンルだけの話ではない。ガスコンロは(原理的には・以下同)作ることができるだろうし、ガスそのものも大丈夫だ。しかし電子レンジはまったく不可能。モーターは大丈夫だけど、トランジスタはだめ。電球はなんとかなるが、蛍光灯は難しい。どうやって放電さすの? エンジンはどうにかわかるけど、ラジオやテレビはまったくわからん。
失礼ながら、これはぼくだけのことではあるまい。みんなだいたいこういうものか、と思う。
でね、気になっているのは、この「だいたいわかるもの」と「まったくのブラックボックス」との差は、時代的なものであるのか、どうかということなのである。
つまり、一般的な教養をもった成人であるなら、銀塩写真の原理はだいたいわかるし、発電機やモーターはどうやって作っていくのかという見通しはある。これは現代日本人が受けていた教育のたまものであるかどうか、ということ。
つまり、発電機や電球を(原理的には)作れるという見通しがつくというのは、それなりの教育を受けてきたからであって、電子レンジにしても、ラジオにしても、そういったものの動作原理についての教育がカリキュラムに含まれていたら、同じように作ることができるようになるんじゃないか、という「仮説」対、技術の進歩の過程で、どこかに大きなジャンプが起こり、あるいってい以上のレベルにある青果物については、カリキュラム云々では処理できないステージに達しているのかも「仮説」。
そりゃ、電球、発電機であっても、教育と深く関係しているとは思いますよ。たとえば坂上田村麻呂が現在にいきなりタイムスリップしてきても、電球は作れまい。
しかし、学校教育うんぬんじゃなくって、日常生活をふつうに送ってくるだけで、現代に生を受けたものなら、電球の原理はだいたいわかるようになっているんじゃない、ってこと。べつに小中学校で理科の時間がどうだったとかの問題じゃなく。
このあたりのことが、さいきんずっと気になっている。
もし、電子レンジと電球の間に、何か質的な違いがあるとすると、考察は次のステップに進む。
これって現代特有の現象なのかどうか。
魔術やら神秘はべつにして、技術的なものだけに限定するんだけど。縄文時代はどうだったのか、と。
「作り得ない」技術製品に囲まれて生活せざるを得ない時代の不幸ってのが、あるのか、ないのか。
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